〜 高年齢者雇用安定法の改正(定年延長制度) 〜 2006/10

 今年度4 月より「高年齢者雇用安定法」が改正され、一言でいえば定年( 雇用)延長が行われる事となった。今回の法律改正の趣旨は、社会の急速な高齢化に対応して、まだまだ現役で働ける現代の高齢者の安定雇用確保のために、 現在の平均60歳定年を65歳まで引き上げる事が主な目的だという。

 けれどその法改正の本当のところの目的は、すでに火の車であり国を揺るがす財政赤字に陥っている現在の国庫と 将来の年金制度に対して、年金支給開始年齢を引き上げるために、その間の高齢者の所得の負担を民間に押し付けるためのものだ。

 それを、いかに若年令層が減少し、高齢者の労働力価値の見直しと確保が必要などと美辞麗句でごまかそうとしてみても、 実際問題として高齢者の雇用と所得保障を無理やり押し付けられた側はきっとたまったものではないはず。日々サラリーマン勤めをしながらそう遠くはない定年の時期を見据えている私にとって、雇用問題は非常に重要なテーマであり、今回の法改正を受けて雇用者側である企業が、どう対応していこうとしているのか興味を持ってあれこれ調べてみた。

 その結果は、我々サラリーマンにとってはかなり厳しい内容を含んでいる様に思えた。
 具体的にどういうことかというと、まずこの新しい法律では、 雇用者は現在の定年を迎える年齢の被雇用者に対して、以下の3つの中からその後の雇用に関する選択を行う事が出来る。

@ 定年の引き上げ、A 定年廃止 B 継続雇用制度。
 @ 定年の引き上げ、これは法の趣旨にもっとも忠実で、単純に現在の定年の年齢を引き上げると言うもの。A 定年廃止、これは文字通り、定年と言う制度そのものをなくしてしまうことだ。
 @とAの選択を雇用者側が取るならば、これまで通りの年齢で早く第二の人生を歩きたい、という人を除けば、概ねどの被雇用者も納得して受入れる事ができ、 より安心した老後の将来設計を描くことが出来やすくなるように思う。


 問題はBの継続雇用制度を選択した場合であり、現実問題としては多くの被雇用者、つまり企業がこのBの選択をするのではないかと思われる。
 継続雇用制度とは、額面ではわかりにくい言葉だが、内容としては、労使間の取り決めに よって一定の年齢に達した際にいったんそれまでの雇用契約を打ち切り、再契約をする事によって雇用の維持を図る、というものだ。

 このBの選択には、労働者側にとって不利な二つの要素が含まれている。

 ひとつは、再契約に際してこれまでの雇用契約 ( 労働条件)とは違った基準を設定することが出来る点だ。
 例えば、これまで一律に定年と言われていた年齢、60歳に達すると、雇用者と被雇用者は再契約を行い、 雇用契約は一年単位となり、所得も半減したり労働時間や労働条件が極端に悪くなったりする。
 被雇用者がこの条件を呑めなければ、雇用者は継続雇用を行う義務を負わずに済むのだ。

 一見当たり前のようにも聞こえるが、労働組合が存在しかつ機能し、 きちんと労使交渉を行えるような職場環境に無い人にとって、「労使間の取り決め」などというものはあってないようなもので、 殆どが雇用者側の采配一つでどんな理不尽な内容であれ、再契約条件として決められてしまうものだと思う。

 ふたつ目は、雇用者側が意図的に6 0 歳以上の再雇用契約者を可能な限り減らしたいために、 それ以前の年齢の時の労働条件に手を加える方策を取り出しつつあると言うことだ。 
 具体的には、例えば5 0 歳〜 5 5 歳くらいの年齢になると、突然、この売り上げ目標を達成しろ、 あの資格、スキルを身につけろ、このコストを目標値以下にしろ、等、実に様々な実態にそぐわない無理難題な能力要求を付きつけ、 それを満たさない被雇用者は、再雇契約に達する年齢になる前に、算定基準となる給与や労働条件を前もって大幅に引き下げておき、その基準を元に、再契約時はさらにその半分の所得でなければ再契約は行わないなど、 被雇用者が再契約を行う意思を極力くじこうとする

 ハードルを設ける、という例もあると聞いている。 躍進著しく、新卒、若手はもちろん、熟年、高齢者層まで幅広く人材を確保したいと思う様な成長産業や、 有力大企業の本社、公務員などは、ひょっとしたら@ 、Aのような雇用形態をとることもあるのかもしれない。
 けれど、中小企業や名前だけ大企業の系列化にある子会社、孫会社など、殆どの企業、団体においては、会社自身が生き残るために、法律を守りつつも 人件費を今以上に増やさないためには、Bの雇用形態を取らざるを得ないのが多分、現実なのだろう。
 酒の場で、この事を友人に愚痴ると、友人いわく、「貧乏人はね、生きている内は働け。働けなくなったら END なのさ! 」と呟いた。納得したような、寂しいような・・・。 いったい、こんな世の中に誰がしたんだろう。今日まで一生懸命生きてきて、老後は趣味と ボランティアの悠々自適の生活を、なんて考えていたのは、甘い幻想に過ぎなかったのかな。

 消費税のアップも高齢者雇用安定法も年金支給年齢の引き上げも、それが社会の安定のために 本当に必要な事ならやってもいいからサ、せめて本当にそのことで、真面目に一生懸命働く労働者が、安心して老後を送れる世の中にしていって欲しいと願ってやまないこの頃。
 誰も当てにはできないし、自分の職場から給料4分の1で死ぬか働くか、なんて選択を迫られないうちに、 違う生き方も考えてみようかな、なんて思案してみるのでした。


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〜 地震協奏曲 〜 2005/05

 我が夫は完璧主義である。いや、完璧主義というよりは、自己を曲げない子供らしいわがままな性格なのだろう。
でも片付けだけは嫌いの様だ。茶の間のテーブルの上には常に本人の細かな身の回りのものが散乱して(いるように私には見えるのだが)、ちょっとでも手を出して片付けようとでもしようものなら、「これはこれできちんとあるべき場所にあるんだ。だから勝手に片付けたりするんじゃない。」とすぐにご機嫌が悪くなる。

 確かに使いやすい所にあるという点では夫の言う通りなのだが、私に言わせれば、それは自分の手の届く範囲に全ての物を広げているだけであって、散らかっている子供部屋となんら変わりが無い。片付けというものを家庭で学ばなかったのかしら?と思ったりもするが、ところがそれでも私がそのテーブルにあからさまには手を出せないでいるのは理由がある。

 実は私自身は片付け魔でありながら、同時に置き場所忘れ魔であるからだ。私はとにかく小さい頃からの親の間違った躾の仕方のせいなのか(親のせいにしてゴメンナサイ!)、目に見える所に雑然と物が有る事がどうしても我慢ならない。すべて目の前から消し去って、部屋には常にテーブルの上に植木鉢が一鉢だけ、という状態が正しい空間であると信じて育ってきた。また、たとえ整頓されていても、本の背表紙やCDの類といった、統一することの出来ないカラフルな色自体の氾濫もない。

 だから、こまごました小物はすべて棚や箱、押入れに無理やり詰め込んで、見た目だけはすっきりさせて、「まぁ、きれいになったわ多分、♪」と自己満足するのである。だが、夫から「あれはどこへしまった?」と聞かれても、「さぁ・・・・押入れか洋服ダンスか・・・衣装ケースのどこかよ。」となってしまうのである。
 本当の意味で完璧主義である夫は、そういう合理的ではない私の片づけを許せないならしく、「えせ整頓魔」と呼んで馬鹿にする。それについては反論の余地の無い私は、「だって〜」と、くねくね体をよじらせながらも、テーブルの上の治外法権である夫の領地部分と、目の前から小物を消し去ってしまいたい私の領地部分との間で、日々せめぎあいが行われているのである。

 さて、そんな「子供の片付け」対「えせ整頓魔」の毎日の戦いの中で、最近、夫のその完璧さに感謝する事件があった。それはつい先日の福岡西方沖地震である。
 我が夫は数年前、私達が今の築うん十年の木造ボロアパートに越してきた時、食器棚からテレビ棚、書棚に至るまで、ありとあらゆる棚という棚を壁に鎖で固定して回った。「地震があった時、こういう食器棚類が倒れてくるのが事故や命を落とす元になるんだ。」とそれは念入りに固定する。目の前から一刻も早く引っ越し荷物の膨大な物と色の氾濫を消去したい私は、「福岡に地震なんて起こるわけないじゃん。変な所に妙に拘るわねぇ。」と鼻で笑ったものだった。「うるさい!こうしておかないと俺が安心して眠れないんだ。」と夫は無視。「部屋中穴だらけにして後で大家さんに叱られても知らないからね。」と私はそっぽをむく。

 ところがこの地震である。それは私たちが休日の遅めのブランチの後、外出しようとしていた矢先に起こった。生まれてこの方、地震らしい地震に遭遇したことの無い私は一瞬何が起こったかわからず、夫と抱き合ってその場にへたり込んでしまった。
 そして地震が収まると、夫は「怖かったよぅ。」といって泣きじゃくった。ものすごい怖がりで泣き虫な夫であるが、これだけ激しい揺れの中で、築うん十年の我が家が奇跡的にも損傷一つ無かった事、そして夫があれだけ念入りに家具を固定してくれていたおかげで、テレビはおろか、茶碗一つ、本一つさえ落ちてこなかった事に、心から感謝した。

 すぐに電話も携帯もつながらなくなり、安否の気になる人達との連絡はずいぶん後になってついたのだが、12階のマンションのエレベーターが緊急停止したまま動かず、ひいひい言いながら自転車や買い物袋を階段から担ぎ上げなければならなくなった人、テレビ、仏壇が倒れて破損してしまった夫の実家、新築のビルに亀裂が入って、コンピュータシステムが破壊されてしまった知人の職場等など、様々な被害を聞くにつれ、夫の常日頃の完璧さが、こうして私たちを被害から守ってくれたんだと思うと、本当に感謝感激なのである。そして私は「子供の片づけ」に大幅に譲歩しなければならないと、諦めもついた。

 ちなみに我がAWF事務所は、比較的揺れが激しい地域であった事、ビルの高層階であった事で書棚や食器棚が散乱し、大変な状態だった事を後で知った。復旧のお手伝いに行けず、とても申し訳ないと思っている。でも代表に言わせると、「真っ先にぶっ潰れて命の危険に晒されているのは、あなたのあの築うん十年のボロアパートの方だとばっかり思ってて、連絡がつかなくて心配してたのよ。」あはは、ご心配悼み入ります。確かに我が家が無事だったのは奇跡かもしれないな、うん。

 おまけ談。家具や家に傷一つ無かった我が家でたった一つの被害といえば、地震の直後、キッチンに蓋を閉めずに置いておいたペットボトルから水が床に流れ出していたのだけれど、動転した夫はとにかく外に出ようと慌てていて、床の状況に気付かずに足を踏み出して、大きくスッテンコロリン!「あ〜れ〜!!」と甲高い雄たけびを上げながら背中で玄関まで一直線にスライディング。覚めやらぬ恐怖の中にいた私だが、「大丈夫!?」と心配して駆け寄りながらも、その極めてコントチックな状況に思わず噴き出してしまい、地震の恐怖がどこかに飛んでいってしまった。

 ありがとう、我が夫よ。体を張って私を勇気付けてくれて。

 普段、自己管理に厳しく、特に時間に厳しい夫だが、こまごましすぎる故なのか、その分、落ち着きが無くてそそっかしい、でもそんな微笑ましい夫が私は大好きだ。

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〜 お野菜狂想曲 〜 2005/01

 我が家の旦那は野菜好き。とは言っても、何でも食べられると言うのではなくて、むしろ好き嫌いが結構激しいのだけれど、なんと言ってもキャベツ大好き!何は無くともキャベツの千切りさえあれば、ニコニコご飯を食べてくれる。
 手がかからなくて楽ともいえるけれど、そうそう毎日じゃあ、飽きも来ようと他のお野菜に変えると、とたんに不機嫌になって、翌日には自分でキャベツを買ってきて、勝手に千切りを作ってし まうから、なんとも子供だ。

 そんな我が家にとって、今年の秋は始まって以来の大騒動だった。何が騒動って、今年のお野菜の異常暴騰である。台風16号から始まって、18号、21号と、よくまぁこんなにと思うほど、今年の九州は立て続けに台風に見舞われ、植え付けたばかりのお野菜の種や苗が何度も流されたと言って、知り合いの農家のおじさんは嘆いていた。近所の八百屋のおばちゃんも、「こう高くちゃ仕入れられないわ。」とぼやいていたっけ。
 ある日、旦那が泣きそうになりながら口をとんがらかして帰ってきた。「どうしたの?」と聞くと、「キャベツが高すぎて買えなかった!」と一言。つつましく暮らしている我が家にとって、いくら好きとはいえ、1玉500円も600円もするキャベツを買うという大罪を犯す罪を、さすがの旦那も出来なかったようだ。

 でも、それからが大変。来る日もくる日も「キャベツが食べたい。キャベツが食べたい。でも高いから買えないよう。」と私の目を斜めにうかがう。本当はそんな旦那がおかしくて、そして可愛くてたまらないのだけれど、私はつ〜んと顔をそむけ、「駄目!我が家は1玉500円もするキャベツなんて買えないの。」と釘を刺す。
「こんな時くらい、いい機会だと思って他の野菜を食べなさい。」「でも他の野菜だって高いも〜ん。」「あら、こんなときこそ、主婦は知恵を絞って家計を守るのよ。貝割れ大根買って来て頂戴。」

 ところがである。スーパーから帰ってきた旦那は目を真ん丸くして貝割れを差し出した。何事?と思って買ってきた貝割れをよく見ると、なんとパッケージの半分しか葉が育っていないではないか。
 何よこれっ、不良品じゃないの、というと、他の野菜があんまり高いから、価格の変わらない貝割れに注文が集中して、生産の回転が回らないのだと言う。冗談じゃないわ。このままじゃあ、我が家はビタミン不足家族になっちゃうじゃないの。
 翌日、私と旦那は勇み足でスーパーへ乗り込み、もやし売り場へ一直線。ところがそこはすでに戦場と化していて、戦いに負けた私たちの手元には、1袋のもやしも手に入らなかった。負けるもんですか!それなら冷凍野菜よ!と冷凍品コーナーに走ってみれば、冷凍野菜コーナーはすでにがらんどう。
 くぅぅ!負けた!台風の馬鹿野郎!泣く泣く乾燥野菜と果汁100%ジュースで、ビタミンの飢えを乗り切った我が家なのでした。

 ようやくお野菜の値段も落ち着きを取り戻し、満面の笑みでキャベツの千切りを食べている旦那の元へ、テレビからまた不吉なニュースが。なんでも大手の種屋さんが、キャベツと間違えて、葉の巻かない別の種を、九州の農家へ大量に販売してしまったため、年明けにはまたまたキャベツ不足が起こるとか。
 猫の額のベランダで、キャベツのプランターが育たないものか、本気で苦悩している今日この頃の我が旦那です。合掌。

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〜あるHIV陽性者の呟き〜 2004.04.21

 僕はある地方都市に住んでいるゲイです。 HIV検査の結果が陽性と聞かされて、数年になります。最初の頃は、それこそ死の恐怖に怯え、自暴自棄となって、毎日どうやって死のうかと、そのことばかりを考える、長く辛い時期を乗り越えてきました。今でもふとしたはずみに、その恐怖は突然発作的に襲い掛かってくるけれど、幸い発見が早く、未だ投薬治療開始には至っていないことと、僕のことを理解して支えてくれる人がいるおかげで、何とか立ち直ることが出来ました。

 今は定期的に病院に行って、血液検査と内科検診、そしてカウンセラーによるカウンセリングを中心に治療を行っています。僕は、そこの病院の先生方が、優しくて本当に親身になって話を聞いてくれるおかげで、随分励まされ、その病院がとても好きだったのですが、先日、思いがけなく、精神的にとても嫌な思いをしました。でも、患者である弱い立場の僕には、その時のショックを直接病院に伝える勇気が有りません。僕にはその病院しか、頼る場所が無いのですから。それで、インターネットで見つけた皆さんのサイトに、こうして愚痴をこぼしてしまうことを、どうかお許し下さい。精神的な面も含めて、僕たちHIV陽性者を支えてくださっている皆さんになら、僕が一方的にお話しても、許してくださるのではないかと。

 先日、僕はいつものように病院に行って診察とカウンセリング、採血を行ったのですが、いつもの採血場所に行くと、こんな張り紙がしてありました。「この度、院内の規定に従い、採血においては手袋を着用することとなりました。皆様のご理解とご協力をお願い致します。」 病院の採血において、注射器を使用する看護士さんに、僕のような病気の感染のリスクが伴うのは当然ですから、僕はその時、その張り紙のことを特段、不快には思いませんでした。むしろ、考えてみたら、今まで素手で注射器を扱っていたこと自体が危険なことだったんだよなぁ、何で今頃に なって手袋着用を言い出すんだろう。何か院内で事故でも合ったのかな。そんなことを考えながら採血場に入って順番を待ちました。

 ところがです。採血場に入って順番を待つ間、僕の前の数人の方の採血を見ていましたが、看護士さんは手袋を着用していないのです。なぁん だ、建前ばっかりで、やっぱり手袋は面倒なんだな、まぁ、相手はプロだから、俺が心配することでもないのかな、そんな事を思っていると、僕の順番が来て、「○○さ〜ん」と看護士さんが僕の名前を呼びながら、僕の採血への指示書を見た途端、おもむろに手袋をはめだしたのです。僕は顔面が蒼白になると同時に、思わず回りを見渡してしまいました。

 幸い、たまたま僕の後には順番待ちのがおらず、たくさんある椅子はがらんどうだったので、他の人に見られることは無かったのだけれど、そこには普段は一般の順番待ちの人たちが、大勢座って前の人の採血の様子が見えるようになっているのです。他の人のときは手袋を使用しないのに、僕の採血指示書を見た途端に手袋をはめだす行為を回りの人が見たら、いったいどう思うのか、「あの人は手袋をはめて採血しなければならない危険な病気の人間なんだ。」きっとそう思うに決まっています。街中の大病院で普段は大勢の人でごった返す中、顔見知りの人だっていないとも限らないのに、どうしてそんな単純な想像力が働かないのか、この看護士のデリカシーの無さに憤然とすると 同時に、この地方都市の拠点病院でありながら、この程度の教育しかなされていないことに本当に悲しい気持ちになりました。

 普段は大人しくニコ ニコ採血を受けている私ですが、この日ばかりは顔面を真っ赤にして看護士さんを睨み付けたけれど、文句を言うだけの度量は無く、ただ怒りばかりが空回りして、次の人が来てしまわないうちにと、逃げるように立ち去るのが精一杯でした。

 皆さんは勿論後存知だと思いますが、僕はたまたまゲイだけれど、HIVは決してゲイだけにかかる特殊な病気では有りません。日常生活で、性生活を営む限り、誰でもが感染する危険のある病気であり、それでもなお、偏見に満ちた社会から、忌み嫌われる病気だからこそ、特段の配慮をお願いししたいと、陽性者は必死で望んでいるのに、病院ですら現状はこんな有様です。

 清算の時も、領収書には病名が記載されているため、プライバシーに配慮して、普段はHIV陽性者専任の会計担当者が対応してくれるのに、この日はあいにくその方が不在で、変わって対応した窓口の女性は、僕の領収書を見るなり、ぎくっとした表情も露に腫れ物に触るような対応をされてしまい、僕は泣きそうになりながら家に帰りました。
 
 HIVは、誰でも感染の危険がある、でも現在の医学では完治の難しい、社会に忌み嫌われる病気です。だからこそ、社会が現実問題として冷静に受け止めてくれるようになるまで、病院に、せめて拠点病院には、特別なプライバシー配慮をお願いしたいのです。どうかボランティア活動を頑張っておられる皆さんのつながりの中で、いつか機会があれば、こういう事があったのだと病院関係者の方々にお伝え頂き、弱い立場である患者が、病気以外の面で精神的に追い詰められることの無いよう、病気の治療に安心して専念できるよう、配慮していただく事を切に願う次第です。
 
 つまらない愚痴を聞いて頂いて、ありがとうございました。
 最後になって付け足しのようになってしまいましたが、HIV予防啓発のために、そして陽性者の援助のために日々、活動しておられる皆さんに、本当に感謝しております。これからもぜひ、頑張って下さい。

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